1.日時

平成17年11月14日(月曜日) 14時~16時

2.場所

アルカディア市ヶ谷 鳳凰の間

3.出席者

(委員)アグネス・チャン委員、柴崎信三委員、鈴木正人委員、曽野綾子委員、中津井泉委員、福田誠委員、牟田泰三委員、矢野眞和委員
(機構)北原理事長、沖吉理事、坂本理事、藤田理事、大浦理事、安江監事、赤木参与、浦上参与、芝田政策企画部長、中村政策調査研究課長ほか関係職員

4.議題

5.議事

資料に基づき機構側から説明を行った後、意見交換が行われた。主な意見は次のとおり。

(1)学資金貸与事業に関する意見(案)について

[委員]
 返還金の回収にかかわるモラルハザード対策の1つとしての返還金の回収を促進する方法だが、「所得額の一定割合を返還する仕組み」というのは合理的な考え方だと思うが、徴収するための技術的にはどのような条件が必要になってくるのか。納税者番号のようなものの整備を待たないと難しいことなのか。

[委員]
 所得に準拠して本人が返却するという所得準拠返還システムをはじめて導入したのはオーストラリアで、1990年から導入されている。たとえば、年間の所得が100万円に満たない場合は返還しなくてよい。所得を5~6分類に分けて、多い場合は所得の6%、少ない場合は1%というように、0~6%の間で返還する額を決める。したがって、高所得層は早く返還し終わる。実質の利子率はゼロである。そのように非常に精緻になっている。1998年にはイギリスでもこれに少し修正を加えた、ほぼ同じ方式が導入されている。これが可能なのは、オーストラリアでは18歳になると、選挙権と同時にタックスナンバー制が整備されているからである。したがって、大学1年生になるとすぐに自分のタックスナンバーを登録しなければならない。タックスナンバーにより所得はすべて把握できるようになっているので、返還はすべて税務署が行うというシステムである。タックスナンバー制がないところで所得を捕捉して返還させるというのは、おそらく不可能だろうと思う。この返還方式を導入するには、やはりタックスナンバー制を真面目に取り組まなければ、難しい問題を抱えているのではないかと考えている。
 「最近では高等教育へのユニバーサルアクセスが実現しつつあり、拡大する高等教育の経費を賄うためには、政府、家計だけでなく、学生自身も相応の負担をすることが必要になっている。欧米においても、近年、給付制が後退し、貸与制が拡大している背景にはこのような事情がある。」という文面は間違っているわけではないが、オーストラリアやイギリスでは、返却する授業料は「本人負担分」であり「貢献分」とよぶ。これは国立大学の授業料とほぼ同じである。いわゆるフルコストで返却するわけではなく、せいぜいコストの3分の1程度を本人が負担するという返却方式である。日本の私立大学ではコストの9割は学生やその家計が負担している。その背景を承知していないと、「諸外国においてはどんどん本人負担にシフトしている」というように誤解されるのではないか。諸外国では、今まで政府がすべて負担していた。イギリスもオーストラリアも政府がフルコストを負担していて、その3分の1くらいを本人の負担にしようという流れで生まれた政策である。日本の私立大学のように家計が9割の負担をしているところで、「家計負担の代わりに本人の負担にしましょう」という話とは全然違うと思う。「欧米でそのようになっているから日本もそのようにやればよい」という風潮に乗っかってしまうのは少し怖い。「日本の場合は基本的にこの40年来、家計負担が過剰に多い社会であった」という前提のもとで理解していただかなければならない。

[機構]
 ご指摘のあった部分は、なくてもよいのかもしれない。もう少し上手な表現にしなければ。

[委員]
 「政府、家計だけでなく」と書いているが、欧米においては家計が負担すること自体がない。「政府から個人本人へ」という流れである。日本のようにほとんどが家計負担というわけではない。

[委員]
 かなり本質的なところに関わってくることなのではないかと思う。

[委員]
 ここに書かれていることは嘘ではないが、何もご存知ではない方は「どんどん本人負担の方向へシフトするのは当たり前だ」と思ってしまうのではないか。本人がある程度負担することは健全だとは思うが、日本の次世代の若者は高齢者を負担していかなければならない上に、現状のようにフルコストの9割を家計が負担しているという前提を忘れて、自分のことは自分で負担しなさいというのはどうだろうか。

[委員]
 本当に本質的なことだと思う。経済というのは精神の問題でもあるが、誰が経済的に教育するのかという問題にかかわる。「経済的な制約を取り除くことが必要であり」という表現があるが、それは難しいので「経済的な制約を軽減する」という言葉の方が適しているのではないか。仮に政府が全額を負担するという理想的な状況になったとすると、学生は勉強しないと思う。ハングリー精神というか、自分や誰か身近な者がひしひしとつらい思いをしてお金を出すということが、教育には必要なのだと思う。それと同時に、そのためにからだを壊したり、精神がいびつになったり、学校へ行ったとしてもアルバイトばかりして勉強しないというのも困る。そのあたりの思想的な背景、「他国はどうであれ、日本はどうするのか」ということをきっちりと決めた方が良いのではないか。

[機構]
 政府・家計・本人の負担のうち、日本の場合は政府と家計の負担が非常に多くて、本人はあまり責任を持たない。本人が在学中に借りたお金を、本人が返す。20歳を過ぎた人間が自分のお金でがんばって、自分が一人前になったら返す。それが自立だろうと思う。日本のように「政府・家計・本人」というものと、オーストラリアやイギリスの「政府と学生」というように、読み換えられない、平衡でない部分があるということだろうか。

[委員]
 政府・家計・本人が、どのようなバランスで負担していくのかということを再編成しなければならないのではないかと思う。

[委員]
 この意見書という趣旨からすると、欧米の状況をわざわざ述べる必要があるのだろうかと思う。世界的な傾向、大局を把握することは大事だが、あまりそこにとらわれていると我々の意見がぼやけてくるのではないか。「欧米においても、近年、給付制が後退し、貸与制が拡大している背景にはこのような事情がある。」という部分はなくてもよいのではないかと思う。

[委員]
 「給付制が後退し、貸与制にシフトしていく」というのは、欧米の趨勢がそうであることを前提にして書かれているのだと思うが、日本固有の高等教育資金の廻り方や負担の構造を前提で日本の場合を考えると、これを妥当な趨勢であると解釈することは適切なのかどうか。「学資金の提供は財政資金を再配分するもう1つのルートである」と解釈した場合に、日本の場合はこのような認識が相応しいのかどうかうかがいたい。

[委員]
 前段のコンテクストをみると、最後の方に「貸与制を基本とすべきだけれども、一方で」と書かれている。また、これまでの議事の上でも「第一種の役割を見直さなければならない」、「第二種だけではいけないのではないか」という流れがあったような気がするが、今回の改正では少し印象が変わったなという気もしている。この欧米の部分は、コンテクストの上ではむしろ、ない方がわかりやすいのではないかと思う。また、第二種学資金貸与事業のところで「返還を忌避しそうな学生の需要を発掘するという事実はあるのか」という指摘をしたが、今回よく直っていると思う。逆に、「雇用等に関する将来への不安から、有利子貸与のリスクを避け、家庭負担やアルバイト時間の増大という形で無理をしている者が生まれていると考えられる。」というのは、本来であれば借りたい人が借りないで済まそうとしている。いわば「隠れニーズがあるのだが、借金が怖いために奨学金を借りないで無理をしている人がいる」ということだと思うが、これはいったいどのような意図で書かれているのか。

[機構]
 「第二種の規模について少し抑制的に」ということが後の部分で出てくるが、その理由の1つとして、第二種のような有利子の場合、特に低所得者層については不完全情報、つまり「自分が将来ちゃんと職業に就けるかどうか」、「どれくらい高等教育への投資に対するリターンがあるか」といった情報が十分ではない。そのために、真の意味での需要が出てこないという状態に、もうすでになっているのではないか。したがって、第二種は規模自体を見直す時期に来ているのではないか。前段はそのようなコンテクストで、後段は別の趣旨であり、「規模が大きくなりすぎたために、ちゃんと返さなければならないという意識が薄れてきている者も一部には生まれているのではないか」ということである。「第二種の規模について少し考え直す時期ではないか」というところに結びつける構成だが、若干わかりにくいかもしれない。

[委員]
 「民間債権回収会社(サービサー)の活用を図る」とあるが、どのような方法で回収するのか。本当に悪質なお金を返さない人たちに対応するようなフルサービスを使うのか。それとも、ニーズに合ったもっと穏やかな回収の仕方なのかと心配である。

[機構]
 いわゆるフルサービスを利用しようということである。サービサー法が施行されて、弁護士なども経営陣に入っていなければならないという制約がかかっているので、そのような法律で認可されたものについては、それほど悪質な取り立てはないと考えている。回収の仕方については、一定の配慮を加えるように契約の中に制約もかけられると思っている。現在は、これから契約を結んで、試験的にやってみようという段階である。我々機構の職員だけでは夜間や土日の回収業務をやりにくい面もあるが、これらの会社を使うことにより、そういったことが効率的にできるため、多少の効果が上がるのではないかと考えている。

[機構]
 いろいろな状況で返せない事情の人もいる。そのような場合には返還を猶予する制度があり、そちらを適用する。本来返せる能力がある人については、教育的配慮のもとにサービサーを使ってはどうかということで、かなり限定的ではあるが活用したいという趣旨である。

[機構]
 2つの条件があって、単なる取り立てではなく、教育的な配慮のもとの取り立てということと、費用対効果があることの両方である。返還されたお金は、またすべて奨学金に廻すために費用対効果も非常に重要で、その2つを考慮しながらということである。

[委員]
 外部効果の計測に関する資料は、財政当局に持って行くときの資料としてはよいと思うが、報告書の中で外部効果の税収増ということをあげるのはどうだろうか。教育の機会均等といった定性的な文章のままにしておいて、最後の計数は別途、事実上付けておくくらいがよいのではないか。税収増ということでPRすることは、この会議の趣旨からしていかがだろうか。

[機構]
 別紙をとればよいということだろうか。それとも、本文中からも削除すべきなのか。

[委員]
 「しかし、これらの外部効果は計測が容易でない。このため、特に税収増に着目して試算した結果が別紙であり、その額は相当な規模にのぼり、学資金貸与事業に要する経費を大幅に上回っている。このことから、学資金貸与事業に一定の公財政資金を投入することは正当化されるものと考えられる。」の部分は、なくてもよいのかもしれない。ただ、これが非常に貴重な、はじめてのシミュレーションであるということであれば載せてもよいと思う。そのあたりはよくわからないが、難しいから1つの例をあげてやってみたということでよい。しかし、本文に頭出しする話なのだろうか。

[委員]
 教育の社会的な効果を計測するというのは、OECD諸国のどこでも行っている。OECDのHuman Capitalというレポートの中では、教育がいかに多元的な効果をもっているか、福祉において教育が大きな効果をもっているという計測をふまえて、今後、人的資源にお金を投入しなければならないというのが基本的な考え方である。犯罪や健康も含めて、教育の効果を計測するという努力が積み重なっている。OECDのHuman Capitalという国際比較のデータには、日本のデータは存在していない。諸外国では、税収入が社会に与える効果を計測するのはごく当たり前である。ところが、日本ではそのようなことを言わないような社会になっている。教育が税収入効果をもっていることは重要だと思い、30年前からそう言っているが、社会はそれをほとんどとり上げない。大卒者と高卒者を比べた場合、生涯で1千万くらい税収入の差がある。税収入の増加が教育の公的効果の代表的指標であるということは、世界の常識になっている。しかし、日本では非常識となっている。これは、教育に対する日本の社会的規範は独特であるというところもあると思う。「政府か家計か本人か」という問題なのだが、日本の場合は「我が子の教育は親の責任だ」という、親責任主義が諸外国と比べて圧倒的に強い社会である。日本の教育は家族主義によって成り立っている。また、ヨーロッパとアメリカの間にも違いがある。ヨーロッパは社会が次世代の若者を育てるという、社会的責任主義である。家族責任主義の日本とは全然違うところで起きている問題で、社会的責任主義で考えれば公的に貢献している。ドイツで20~30年間、授業料制の導入が提案されながらも却下されてきたのは、「我々は税金を払っている。したがって、高等教育が無料であるのは当たり前だ」といって、授業料政策に対して政治的に反対してきたからである。それぞれ文化や社会の経験があるので、先の1文をここに書くべきなのかはわからないが、このようなことが文面に出てくることはめずらしいと思う。

[委員]
 日本の政策を見ていて思うのは、すぐに結果の出る投資を考えすぎるような気がする。たとえば科学技術に関する投資でも、すぐに製品に結びつくような、結果を期待しすぎるような面がある。文部科学省の科学研究費などは、基礎研究に投資した場合、それがすぐに役に立つかどうかはわからない。しかし、長い年月をかけて日本の文化に貢献し、その結果、日本が世界の模範となるよい国になっていくという効果がある。そのような終身教育のようなことを言っても仕方がないが、この文章を見ていて「これだ」と思った。ただ、すぐに税収増につながるという書き方をされていると、少し露骨過ぎるような気がする。「このような投資をすると、めぐりめぐって国の税収増になる」という言い方よりも、もう少し格調高い言い方にして、「その上で税収増にもつながる」というように書き換えれば、みんなが賛成できる文章ではないかと思う。このようなことをみんながあまり提言しないから、すぐに役立つことばかりを重視する方向に行ってしまう。書き方はともかく、このようなことを問題視することには賛成である。

[機構]
 旧案にあるように、「この事業による教育の機会均等機能等の社会的便益の大きさとコストを比較するなどの実証的調査研究の成果を踏まえておくことが重要である。」というご意見をいただき、専門の先生による講演会を開き、実証的調査研究をした成果を今回は載せている。かなりインパクトがあり、よくわからないところも含めてみたが、この部分はもう少し校正しようと思う。

[委員]
 もし個人負担に意識を高めたいのであれば、この文章では「1番得をするのは国・社会である」と読めてしまう。それならば、もう少し国はお金を出さなければならない。どうして個人負担なのかという議論を招く文章だと思う。

[委員]
 「生涯所得のかさ上げ」という表現にひっかかる。いかにも金銭至上主義という感じがする。今の世の中では何でも損得を価値基準に置いていて、「やはり高等教育を出た方が得だ」というように読めてしまう気がする。「結果としてそれが税の増収に結びつく」とは書いているが、高等教育を出ることが将来の収入の増加につながるから、みんなが大学進学を目指すということになって、結果として行きたくない人まで行かせているという現実があるのではないかと思う。そのような人が大学を出たとしても、ニートやフリーターとして世の中に出て行くという実情があることを考えれば、この文章はもう少し配慮した方がよいと思う。

[委員]
 今のような意見が、この日本社会の主流派である。その主流派の意見が一面的だという部分もあると思う。諸外国ではこのような議論は当たり前である。ただ、経済的なるものとそうでないもの、個人本人のものと社会のもの、そのバランスを健全にする必要があるのではないか。

[機構]
 修文しようと思う。やはり大きな国のお金を使うので、社会的便益の大きさも考えなければならない。しかし、それによる生涯所得のかさ上げや税の増収が強調されすぎることは避けたほうがよい。「欧米においても、近年、給付制が後退し、貸与制が拡大している背景にはこのような事情がある。」という1文については、とる方向で修文を検討する。

[委員]
 ボランティア活動というのも低い次元だと思う。学問をするということは、その期間に自分が接する人々や読んだ書物などによって、深い人生観や哲学、美的感覚という計測できないような人間の豊かさを得るということを、1度はっきりと言うことも1つだろうと思う。同時に、経済的な効果もあるということを両方書かなければいけないと思う。「計測できないような魂の充実性を得るチャンスを若い人々に与えるだろう」といった主旨のことを付け加えなければ、せいぜいボランティア活動なのかと思ってしまう。

[機構]
 これの取扱いについては、修文したものを持ち回りでご覧いただいて完成ということにしたいと思う。この報告書の公表については、良いタイミングを計って出したいと思う。完成してからの取扱いについては、私にご一任いただけますでしょうか。

(2)学生生活支援の今後の方向性について

[委員]
 学生支援に関する問題は、様々な問題が起こっているというのは事実だと思う。ただ、大学の方もここ数年で大きく変化していて、支援に対して積極的なことをいろいろとやり始めている。たとえば出口問題についてキャリア教育を行う、あるいは生活指導面まで行う大学も増えている。そのように様々な問題を抱えている中、大学を超えたところで日本学生支援機構は何ができるのか、何をやらなければならないのかというのが非常に大きな問題だと思う。個別の大学が行っていることと同じようなことをやるべきなのか。個別の大学でやり切れていないことをするとして、それはいったい何なのか。非常に難しい問題を抱えている。すべての問題はできないので、何かにフォーカスして事業を興す、あるいはサポート体制を整える、あるいはやりきれない部分に特化してやる、あるいは研究を行うのか。問題が山積しているのは確かだが、その中で大学を超えて何ができて、何をやらなければならないのか。それを探るには、各大学が行っていることや現状を再整理したうえで、たくさんある問題の中から何をするのか選び取っていかなければならない。また、その選び取るポイントを決めていかなければならない。

[機構]
 各大学がやっていることの中でも、進んでいる大学とそうでない大学のデータを集めてお互いに提供する中核となることも我々の任務だと思っている。各大学がやるレベルのことではなく、学生生活を支援している各大学を支援する。遅れている大学には進んでいる大学の例を教えたり、大学の人を集めて研究会を開催し、情報交換や研究を進めている。我々自身がナショナルセンターとして、先頭に立って研究を進めていかなければならないと思っている。

[委員]
 今回の資料からはニートやフリーターに対する懸念が読みとれる。ニートに関しては、もちろんその学生自身の問題だと思うが、やはり親の考え方によるところも大きいと思う。その親たちの支援、親たちの意識改革があまり議論されていないポイントだと思う。大学を卒業してニートになっているのであれば、20歳を越えているので、親の問題ではないと思うかもしれない。しかし支えているのは親で、親に支えられているからニートでいられるという部分もある。そのあたりが議論されないと解決にならないと思う。

[機構]
 ニートはまず親と別居させることが大事だと聞いたことがある。パラサイトは親と一緒にいるから寝食を心配する必要がないが、親と離れて自分で暮らしてみると、やはりどうしようもない部分が出てくる。

[委員]
 非常に大きな広がりのあるテーマだと思うが、最終的には日本学生支援機構がどのようなことができるのか、どのようにするべきかと展開していくのだと思う。せっかく各界のいろいろな見識を持った委員がいるので、それを絞っていくプロセスでいろいろなことが議論できればよいと思っている。日本学生支援機構のあり方から見た論点を、レジュメにしていくつかヒントを出していただければ、各界の皆さまの意見が出やすいのではないかと思う。

[機構]
 次はそのように絞りたいと思う。今回は資料9が論点を示したものである。その中で、廣中レポートでは大学のあり方が提言されている。大学等や学生をめぐる最近の動向については、とくに社会経済におけるニューエコノミーの進展が、学生にどのような影響を与えているのか。また、私どもの1つの仕事として、障害学生についての支援も考えているので、どのような問題があるかをフリートーキングで出していただいて、それを参考に勉強をして、具体化して提案したいと考えている。

[委員]
 出口問題については大学の死活問題になってきているので、むしろ大学の方が熱心にやる。あまり全国的にやる必要はないのではないかと考えている。もしやるのであれば、その背景にあるもっと大きな問題をキャンペーン的にうつ、あるいは大学では手に余る特別なことをやるということの方が、現状からいえばよいのではないか。障害学生の受入れについても書かれていて、たしかにいろいろな身体的な障害の問題もある。しかし、現在、大学の方で問題になっているのは、精神的な障害が増えてきていることである。いきなりカウンセラーが増えたことによって、適切な処置がなされないで、かえってまた悪化させてしまう。大学の手に余る障害には、精神的な障害も含まれるのではないかと思う。

[委員]
 外国の新聞を見ていると、大学を卒業しても5万人は職がないという記事をよく目にするが、親のパラサイトになって生きていられるというのは本当にふざけた話であるということが、日本人には伝わっていないと思う。インドのベナレスに行ったことがあって、1泊100円の宿があった。そこに4年くらい滞在している日本人と会って話したことがあって、「お母さんからお金をもらって来たの」と聞くと、「そんなことはありません。ちゃんとアルバイトをして40万円稼ぎ、安いインド行きの切符を買って、ここで暮らしています。」と言われた。ちゃんと自立しているようだった。その人はチェーンスモーカーで、川の見える安宿に泊まって思いのままにノートにつけていた。まったくの自由で、昼間寝ようが、夜寝ようが、何をしてもよい。それを見ていたインド人のカトリックの神父は、「私はあの人が幸福だとは思えなかった。」と言った。「なぜですか?あんなに自由な人はなかなかあり得ないでしょう?」と聞いたら、「自由というのは、したいことをすることではない。するべきことをしているのが自由というものだ」と言われた。そのような言葉をあまり日本人から聞いたことがなかった。そのような視点の変わったものを与えないと、日本から完全に欠落している部分があるのではないかという気がする。これは予算的な問題ではないと思うので、考えていただければと思う。

[機構]
 お金から離れて、それを我々の事業としてどのように具体化していくのかというのは、さらに難しいことだと思う。

[委員]
 経済力を考えれば日本とアメリカは近いと思うが、アメリカでは大学生になると1年間は必ず大学の寮に入らなくてはならない。大学は親離れ子離れを徹底的にやる。子どもを寮に送った後、親に帰ってもらうためのセレモニーがある。おそらく、裕福な国であればどこの国でも親離れ子離れというのは課題だと思う。アメリカではそれをかなり一生懸命やろうとしているように思う。もちろんそれは寮があって、経済的に余裕があるからできることなので、日本学生支援機構が何を支援できるのかはわからないが、学校の中でそのように意識を高めていくことはとても大切だと思う。学費は親が払うこともあるのだが、その請求書は子どもに送る。「これくらい親は払っている」ということが子どもから親に伝わり、親が払う。経済的に豊かであっても、永遠にその親子関係に頼り合っていくのはよくないということを学んだ。資料の中で、就職活動をしたことがない若者の理由に「○○がわからない」という言葉がよく出てきている。考える時間がなく、考える提案をさせないとわからない。ずっと居心地のよい環境だと考えられない。私たちが提案できるのは、20歳になったら一般の大人になれるように、18歳になったら自立しましょうということかもしれない。

[委員]
 どこにフォーカスして支援していくのかという全体像が見えるようにしていただきたい。

[委員]
 かつて文部省の政策は、高等教育機関を増やして進学率を高めるということであったが、一応それは達成できている。目標を達成した次に、何が問題かということを整理することが必要ではないか。やはり雇用問題が大きくなっていると思うが、単に失業だけではなく、高等教育を受けた人が自分にふさわしい職業を見つけるというところで、どこかがきれてしまっている。産業構造的にはIT産業が増えたり、単純労働がなくなったりして、全体のパイが伸びないという基本的な問題はあると思う。経済とリンクした高学歴者の生き方というものについても、議論をしたほうがよいのかもしれない。途上国との違いもあるだろうし、狭い意味の学力ではなくて、自分にふさわしい生き方をどのように見つけるのかという議論も十分ではないような気がする。そのあたりについて、次回から議論していければと考えている。

[機構]
 就職問題については、各大学の問題もあるが、企業側と大学側全体を橋渡しするような仕事が我々の機構にもあると思う。現在でも東日本と西日本に分けて全体的な研究会をやっているが、就職問題は出口として大切な問題だと思う。


次回の日程については、事務局からおって連絡することとなった。

以上


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