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日本留学経験者の声(パク・ヘジンさん/韓国)※

パク・ヘジンさん

パク・ヘジンさん※渡日前入学許可による留学
○慶應義塾大学法学部政治学科4年生在学中
○ハンソン女子高等学校2008年卒業
○チャン・スギョン語学院受講
(2012年2月時点)

慶應義塾大学法学部政治学科4年生のパク・ヘジンです。
同級生の間で流行していた日本文化に心酔し、無謀にも留学のための勉強を始めたのがつい昨日のことのようなのに、もう7年という歳月が流れました。私は今、4年間の留学生活を終え卒業を目前にしており、私が夢見て、働きたいと常に願っていた世界トップクラスの広告会社への就職も決まり、4月から社会人として第一歩を踏み出す準備をしています。

将来何をやりたいか、またなぜ勉強をしなければならないのかも考えたことがなかった16歳の少女は、日本留学を通じて少し大人になり、これから社会人になって夢に向かって走る準備をしています。新しい世界と向かい合わなければならないという恐れと心配が全くないわけではありませんが、留学という旅を無事に終えることができたように、次の旅も間違いなく、思い描く目的地に到着することができるだろうと確信しています。

1.受験生時代の私
ひらがなもまともに覚えていないのに日本の芸能人の名前や歌は全部覚えているというどうしようもない私が、友達と一緒にチャン・スギョン語学塾に行った時のことが思い出されます。当然、塾に通いさえすれば留学の勉強ができ、大学合格も約束されたように思い、自信がついて嬉しかった私を絶望させたのは、あまり良くない内申点と母の溢れ過ぎる愛でした。内申点があまりよくなかったため、次の中間試験で10位以内に入ったら入塾を許すというチャン・スギョン先生の条件付きの許可は得ましたが、留学は絶対に認められないから純粋な子に変なことを吹き込まないで欲しいと、罪のない塾を怒鳴りつけた母の誤解は、私がどうにもできないほどでした。数ヶ月に渡ってそんな両親を説得し、チャン・スギョン先生との約束を守るために内申点を上げる勉強に没頭した結果、下位クラスだった私の成績はトップクラスに上がり、生まれて初めて勉強に熱中した私の姿を見た両親から許可を得て、日本留学の準備をすることができました。しかし、何も知らず始めた受験勉強は、内申点のための勉強や留学の許可を得るために苦労した今までの紆余曲折とは比較にならない難しさでした。また、日本語を母国語として使い、子供の時から名門大学を目標に勉強してきた日本の学生と一緒に授業を受け、競争できるほどの実力を短期間に身につけるのは、いくら努力しても無理ではないかという心配と不安は、日本の大学に絶対に行きたいという私の固い意志すら揺り動かし、そのたびにチャン・スギョン先生はより多くの宿題と厳しいお小言で私の限界を試し、根性を刺激してくれました。日曜日もないハードスケジュールと学習、だんだん厚くなっていく日本語単語整理ノート、色とりどりの色鉛筆でアンダーラインを引き整理した総合科目ノート、試験で間違えた単語を文章の長さに関係なく30~100回ずつびっちり書いて提出した紙まで・・・今も私の部屋の本棚の片隅に置いたままの、受験生の頃の私の喜びと悲しみが込められたそのノートを見るたびに、あの時の本当に大変でたまに嫌気が差すことの積み重ねが、私を大学に合格させる原動力になり、充実して楽しかった大学生活を可能にしたことを実感させてくれます。
今になって考えてみれば、勉強する方法も勉強の習慣も、何も知らず考えも幼かった私が、無事に留学生活を終え、社会人としての次なる一歩に備えられるのは、重要な時に自分で考えて判断し、正しい決定を下せるよう、厳格な道しるべの役割をしてくださった先生と、ハラハラしながら私を見守って、無言で胸をなでおろしながら見守ってくれた両親がいたからだと思います。

2.日本留学生活
私の留学生活を一言で表現するなら、「沢山挑戦して沢山の友達と付き合う」です。貧困問題の解決に関心がある私は、1年生の時の海外奉仕活動サークルへの参加をはじめとしたネパールでの奉仕活動、フェアトレード推進サークルの創設、ゼミ(主に3年生の時から始めた少人数研究会)で貧困問題研究などをしてきました。それ以外にもバンドサークルでボーカルとして公演をしたり、学校前の食堂でアルバイトをしながら大学以外の日本生活も経験しました。また、同じ活動でも韓国ではない他国で、日本人と日本語を使ってこの全てのことをやってきた事自体が、大きな経験であり財産だと思います。
留学生活を通じて得たもうひとつの財産は、沢山の友達です。「文化が違って誤解が生じたり、仲良くなれなかったらどうしよう?」という不安を抱いて日本に行きましたが、その心配は嘘のように、多くの友達と付き合うことができました。多くの留学生が文化の違いを恐れています。しかし性格が違っても親しくなれないはずはないように、文化の違いがあっても大きな問題ではありません。理解して更に知ろうとする気持ちを持って、積極的に接していけば、相手も私を理解して振り返ってくれるからです。私はこのような心構えで人と接したため、多くの友達と親しくなることができました。そして、友達は私の留学生活の大きな力となってくれました。家族も友達もいない日本で、友達がいなかったら私はとても寂しく辛かったかもしれません。更に友達を通じて日本文化に対する理解も深まり、韓国を伝えるいい機会にもなりました。

私は日本留学に対する情熱で受験の時期を耐え抜き、また留学生活で好きなこと、やりたいことを満喫しました。そんな過程を通じて少しずつ成長し、振り返ってみれば有益で楽しい留学生活だったと自信をもって言えるようになりました。皆さんも自分の夢や目標に対する情熱をいつも忘れないで、忍耐の時間を耐え抜き、情熱と活気に満ちたキャンパスで楽しい留学生活を送ってください。