タイムマシーンに乗って、古き良き日本から最先端の日本まで、一緒に旅してみませんか?
【スポット編】かつて訪れた場所、いつか行きたいあんな場所・・・。
【文化編】昔ながらのニッポンの風習、そして今流行っているこんなこと・・・。
【グルメ編】懐かしい味から食べたことのないあんなものまで・・・。
【テクノロジー編】 驚くべき日本の先端技術!日々めまぐるしく進化を続ける。
etc.
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タイムマシーンに乗って、古き良き日本から最先端の日本まで、一緒に旅してみませんか?
【スポット編】かつて訪れた場所、いつか行きたいあんな場所・・・。
【文化編】昔ながらのニッポンの風習、そして今流行っているこんなこと・・・。
【グルメ編】懐かしい味から食べたことのないあんなものまで・・・。
【テクノロジー編】 驚くべき日本の先端技術!日々めまぐるしく進化を続ける。
etc.
「ごめん!仕事で1時間ぐらい遅れるから近くで待っててm(_ _)m」。
友人からメールが届きました。「時間に正確だ」と思われがちな日本人でもよくこんなことがあります。時間通りに約束の場所に着いてしまった私は、近くのカフェで友達を待つことにしました。
最近、「○○カフェ」というお店が増えたように思います。書店へ行っても雑誌コーナーには東京のカフェガイドや、カフェのメニューのレシピ本など、カフェに関する書籍が目につきます。
先ほどからおしゃれに「カフェ」と言っていますが、「喫茶店(きっさてん)」のことです。昔ながらの喫茶店にはコーヒー、紅茶などの基本的な飲み物と数種類の食べ物のメニューがあるだけです。読書、打ち合わせなどさまざまな目的で利用しますが、昔は喫茶店に長居する習慣はなかったようです。近頃のカフェはどうでしょうか。レシピ本になるほどカフェのメニューは注目されていますし、人気のある店では行列ができていて、30分待ちということも珍しくありません。人々のニーズに合わせて喫茶店(カフェ)ビジネスも変化を遂げたと言えるでしょう。
現在の日本にはさまざまな趣向のカフェがあります。暇つぶしというより、「目的をもってカフェへ行き、ゆっくり時間を過ごす、癒される」スタイルが主流になりつつあるようです。ご存じの「メイドカフェ」も「秋葉系(あきばけい)」と言われるオタクの男性だけでなく、女性や海外から訪れるお客さんでにぎわっています。カフェの中は可愛く飾り付けされていて、メイド(店員)が「おかえりなさいませ、ご主人(お嬢)さま」とお出迎えしてくれます。お客さんはメイドとのひと時を楽しむためにカフェへ行きます。
メイドカフェ以外にも「執事カフェ」や「メガネ&スーツカフェ」も登場しました。執事カフェは名前の通り、かっこいい執事がお茶やケーキなどを運んでくれます。まるでお金持ちの家のお嬢様(おぼっちゃま)になったような気分を味わえます。メガネ&スーツカフェは、メガネ&スーツをまとったサラリーマン風の店員さんと、「オフィスラブ」の雰囲気を味わうカフェです。これらは主に女性に人気があります。また、個展などが開ける小さなギャラリーが併設されている「ギャラリーカフェ」や、読書ができる「ブックカフェ」など人々がリラックスできる空間を目指しているカフェも人気があります。
犬と一緒に入ることができる「ドッグカフェ」や、室内にいる猫と触れ合える「猫カフェ」も人気です。ドッグカフェには犬用の食べ物や「ドッグラン」があるので、ペットの犬も大喜び。猫カフェはたくさんの可愛い猫にかこまれながらのんびりできるカフェです。自分のペットを連れていくことはできませんが、まさに、猫が好きな人のための空間です。
東京都内には10店舗以上ある猫カフェ。日本人だけでなく外国人にも人気があり、外国からも多くの観光客が訪れているとか。秋葉原の猫カフェ『ねこ・JaLaLa』の永井さんは「お店に入った時は少し疲れているようなお客さんも、帰るときにはすごくいい笑顔になっています。猫と触れ合うと、猫の良さがよくわかります。お茶を飲みながら、可愛い猫とゆっくり過ごす、ということが癒しにつながるのではないでしょうか。かわいらしい猫を見ていると、嫌なことなんかすぐに忘れてしまうというお客さんがとても多いんですよ」と話してくれました。一昔前、犬は番犬、猫はネズミ捕りとしての役割を果たしていました。しかし、現在日本のペットは人間のパートナーや、家族の一員として生活しています。われわれ人間と犬や猫との関係性が変わってきたことが、ドッグカフェや猫カフェブームの理由だと感じます。
カフェは今や、人びとの願望を満たし、疲れを癒す空間へと変貌を遂げているのです。カフェが果たす役割も社会と共に変わってきたと言えるでしょう。今度の週末は、お気に入りのカフェでゆったりと時間を過ごしてはいかがですか。
ねこ・JaLaLa http://www.nekojalala.com/
文:嶋 奈緒美
笛を吹く旅芸人
世界には、様々な旅芸人がいます。西洋ではジプシー(ロマ)が有名です。
日本にも、かつて沢山の旅芸人がいました。彼らは、歌い、踊り、楽器を奏で、お金やお米をもらいました。何百年か前の日本には、笛を吹く旅芸人がいました。彼らは三つの「レス」で特徴づけることができます。
(1)ホームレス。彼らは、決まった家や宿を持ちませんでした。極めて貧困で、差別の目で見られました。
(2)ボーダーレス。当時、一般庶民の自由な通行は、許されていませんでした。一方、彼らは国境を越えて移動しました。
(3)フェイスレス。彼らの素性は様々で、中には、元武士・犯罪者・無法者もいました。彼らは、人前で篭を被り、素顔を隠しました。
旅芸人の曲
ロマを母親に持つ映画監督、トニー・ガトリフは次のように言います。
「ジプシー文化の魅力をひとことで言えば、自由ということだ。ジプシーは生き方も自由だし音楽も自由だ。楽譜もリハーサルもないから、好きなように演奏できる。間違った音も出したいように出せるし即興もできる。ジプシー音楽は、リズムも音階も多くのものを抱合しており、そこに豊かさがある」
この言葉は、日本の笛を吹く旅芸人にも当てはまります。
その曲は方言や民謡のように、郷土色豊かでした。そして自由自在に独奏されました。曲は旅芸人から旅芸人へ、口頭伝承されました。
笛を吹く旅芸人は、その後絶滅しました(今でもコスプレをする人はいます)。しかしその曲は、伝承者によって現在まで受け継がれています。
2種類の尺八
尺八(しゃくはち)は、竹で作られた伝統的な笛です。
尺八には、昔の尺八と、今の尺八の2種類があります。
旅芸人が使ったのは、昔の尺八です。
それは、竹の節を抜いただけの素朴な道具です。管の中には、節の跡がいくつも残っています。節があると、呼吸が妨げられます。深い呼吸でなければ音を取り出すことはできません。昔の尺八は、音質や呼吸を大切にする道具なのです。
一方今の尺八は、現代の奏者が使います。
管の内部は、ペーストが厚く塗られ、水道管のようにツルツルです。浅い呼吸で、音を容易に出すことができます。内径は一定で、他の楽器とピッチを合わせるのが簡単です。今の尺八は、ピッチや音量を重んじて演奏されます。 現在、日本で出回る尺八は、ほとんどこのタイプです。
様々な出会い
外国人の尺八奏者と知り合ったことが、この道に入った契機です。日本人として、自らも尺八を学ぶべきだと思ったのです。
師匠にも恵まれました。
師は現代の風潮に反し、昔の尺八を高く評価します。昔の尺八は、操作が厄介です。しかし、稽古を重ねるにつれ深みのある澄んだ音を出すことができます。師は、「負荷のない稽古に意味はない」と言います。
骨董商との出会いも幸運でした。
昔の尺八を手に入れるのは、とても困難です。しかし、理解ある老主人のおかげで様々な昔の尺八を集めることができました。その品々は、旅芸人に代々受け継がれ、古色蒼然(こしょくそうぜん)としています。
師匠と稽古をする時は、いつも昔の尺八を使います。旅には、必ず昔の尺八を携えて出かけます。
思想の道具
今の尺八は、メロディーを楽しむ楽器です。
一方、昔の尺八は単に音を出す楽器ではありません。次のように、思想の道具でもあるのです。
(1)己を知る。昔の尺八は、心と身体の状態を明らかにします。さらに、世界と自然を認識する手掛かりにもなります。
(2)己を鍛える。奏者は呼吸を鍛錬し、技を練磨し、曲の精度を高め、難度の高い道具に挑みます。その修行に果てはありません。
(3)己を忘れる。昔の尺八は、己の中に潜む野生を鼓舞します。己を曲に没入させ、俗世界を忘れさせます。
道具と文化
人間と道具の関係は、文化によって異なります。
古来、人間は楽器から、多様な音を繰り出そうと努力してきました。西洋と日本はその目的のため、極めて対照的な方法を取りました。
西洋では人の動作は単純なままにし、道具の仕組みを複雑にしました。その代表が、88も鍵盤のあるピアノです。
日本では道具の構造は単純なままにし、体の使い方を工夫しました。その典型が、昔の尺八です。
かつて日本には、愛用の楽器・茶碗・刀剣に、優雅な名前を付ける風習がありました。私もその伝統に従っています。今宵、私の唇の相手をするのは誰?「夕霧」それとも「風花」?
文:村上 丘
「はい、チーズ!」
この言葉を聞くと、つい顔に力が入って緊張してしまう人は多いと思います。友達や家族との旅行、結婚式、卒業写真など、ひと昔前では写真を撮るのは少し特別な場面でした。子供の頃、七五三の写真を近所の写真館で撮りました。写真館のおじさんに大きなカメラを向けられ、慣れない着物に身を包み、撮影が終わった頃には疲れてぐったりしたものです。弟が生まれたときも家族写真を撮りに行きましたが、緊張していないのは赤ちゃんの弟だけで、父も母も、私も緊張していました。
写真と言えば、昔はお父さんの趣味で、若い人には高価なカメラを手にする機会はありませんでした。日本のアニメ『ちびまる子ちゃん』でも、主人公のまる子の友人、たまちゃんのお父さんの趣味はカメラです。アニメでもまる子やたまちゃんの写真を撮るシーンが見られます。ちびまる子ちゃんの舞台は1970年代の日本(静岡県)の一般的な家庭です。その頃のカメラはとても高価で、たまちゃんのお父さんはカメラをとても大切に使っていました。今年75歳になる私の祖父も、今でも大切そうに古いカメラを出しては手入れをしています。
最近は日本のいたるところで写真を撮る風景が見られます。90年代にレンズ付きフィルム(使い捨てカメラ)の登場で、女子高校生などの間でカメラを持ち歩き、何げない風景や友人との写真を撮ることがはやりました。その後、「プリクラ」(写真を撮ってシールにするゲーム機)が爆発的に大流行したことから、写真を撮ること、撮られることは日本の若者の間で日常的になりました。海外でも日本製のプリクラを目にすることができるほどです。また、コンパクトなデジタルカメラの登場で、従来のカメラのようにフィルムを入れる手間や、持ち運びの煩わしさもなくなり、カメラは若者だけでなく多くの世代に浸透しました。そして、最近では携帯電話にもデジタルカメラさながらの高画質カメラが付いたものがあります。使い捨てカメラを持ち歩くという女子高校生の文化が、カメラを携帯し日常を記録するという日本国民全体の文化へと変化したのです。74歳の私の祖母も携帯電話のカメラで撮った花などの写真を、楽しそうにメールで送ってくれます。みなさんも日本留学中に、いろいろな場所で写真を撮ったのではないでしょうか。
コンパクトなデジタルカメラだけでなく、大きくて高価なデジタル一眼レフカメラも最近は人気があります。日常の瞬間を撮影するというより、子供の運動会や旅行など大切な瞬間を写真に収めるために使われることが多いようです。最近デジタル一眼レフカメラを買ったという30代の男性は「いろいろな本を読んで撮り方の研究をしています。いつかプロのカメラマンのように大自然の雄大な写真を撮ってみたいです」。女性のユーザーも多いようです。大学時代にデジタル一眼レフカメラを購入したという20代の女性は「学生時代から写真が好きで、デジカメなどで友人や日常の風景をよく撮っていました。友人が持っていたデジタル一眼レフカメラのシャッター音に憧れて、私も欲しくなりました。写真をブログにアップして、友人と楽しんでいます」と話しています。
「トイカメラ」も人気があります。トイカメラはカメラの構造が比較的単純なことから「トイ」(おもちゃ)のカメラと呼ばれています。フィルムタイプのものと、デジタルカメラタイプの2種類があり、フィルムタイプが人気です。取り扱っている店には、10種類以上のトイカメラが並んでいて、価格もデジタルカメラに比べ安価です。また、高画質で高機能のデジタルカメラとは違った温かい雰囲気の写真を撮れることや、カメラ本体がレトロなデザインで可愛いことから世代や性別を問わず、よく売れているそうです。画素数は高くないのでノスタルジックな写真に仕上がる点も人気の理由です。トイカメラで撮影するのが好きな30代の女性は「私が持っているフィルムタイプのトイカメラは、デジタルカメラと違って撮影してから現像されるまでどんな写真ができるか分からないワクワク感が良いです」と話してくれました。確かに、この女性が撮影した写真は普通のデジタルカメラで撮影した写真と違って懐かしい感じがしますね。高画質のデジタル一眼レフカメラで撮った写真も良いですが、自分の個性を出したい人にはトイカメラがおすすめです。
日本ではこれから紅葉のシーズンが始まり、風景を撮影するには最高の季節ですね。あなたは高画質なデジタルカメラを持って出かけますか?それともトイカメラ?
文:嶋 奈緒美
映画『アバター』の大ヒットをきっかけに映画界では、「3D(立体視)」ブームが到来しています。アメリカではそうした3D映画の多くが、「ボックスオフィスランキング」(アメリカの映画ランキング)の上位にランクインし、映画館からしばらく足が遠のいていた層の掘り起こし役を担っています。この流れは映画業界にとどまりません。日本の家電売り場でも、3Dテレビの前で専用メガネをかける姿が後を絶ちません。
こうした中、日本のゲーム会社最大手の任天堂は「裸眼で見える3Dゲーム機」を発表し世界を驚かせました。その新型ゲーム機「ニンテンドー3DS」は2010年6月15日に米ロサンゼルスで開催の「E3(Electronic Entertainment Expo)」で初めて展示され、同時に多数のソフトメーカーが3D対応ゲームを発表しました。映画では米国ハリウッドが3Dブームの先陣を切っていますが、ゲームでは日本が新しい世界を切り開いているのです。
昔は「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」。今では「Wii」や「プレイステーション3」をはじめ、「ニンテンドーDS」や「プレイステーション・ポータブル(PSP)」など世界中で愛される家庭用ゲーム機は、ほかでもないメード・イン・ジャパン。常にゲームの最先端を行く日本のゲームには世界中の注目が集まっています。
ハードだけではなく、ソフトの開発力でも世界をリードしています。例えば、09年発売した「スクウェア・エニックス」の人気シリーズ『ドラゴンクエストIX星空の守り人』は、「すれ違い通信」という画期的なアイデアでゲームユーザーに新たな楽しみを提供しました。すれ違い通信とは、携帯ゲーム機でプレーヤー同士が自動的に通信し、ゲームに関する各種の情報をやりとりできる機能です。『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』ではこの機能を用いることで、ゲームプレーで重要なアイテムとなる「宝の地図」が交換できるほか、他のプレーヤーキャラクターを招待することも可能で、秋葉原の町ではニンテンドーDSを持ち歩き、見知らぬプレーヤーと通信し合う人々であふれるといった現象までをも引き起こしました。
一方、パソコン、携帯電話のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で楽しむソーシャルゲームも人気を集めています。この市場を引率するのが「ミクシィ」と「グリー」、「ディー・エヌ・エー」の3社。オリジナルゲーム以外に、『テトリス』など昔から愛されている手軽なゲームや、家庭用ゲーム機で最近ヒットしたタイトルまでカバーし、ラインアップを充実させています。このように人々のライフスタイルに合わせてゲームは進化し続けているのです。
その最先端を体感できるのが、9月18日(土曜日)と19日(日曜日)に幕張メッセで開催される世界最大級のゲームの祭典「東京ゲームショウ2010」。開催20回目を迎える本イベントは昨年より規模を拡大し、新コーナー、新企画が盛りだくさんです。未発売の最新ゲームを試遊できるほか、最先端の技術も紹介されます。今年は海外の出展企業も多いので、母国のゲームが会場で楽しめるかもしれません。幕張メッセまで足を運べば、日本文化を理解できるだけでなく、世界中のエンターテインメントを実感できるに違いありません。
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●●東京ゲームショウ2010 概要●●---●●---●●---●●---●
イベント名称:東京ゲームショウ2010
テーマ:GAMEは、新章へ。
会期:2010年9月18日(土曜日)、19日(日曜日)
会場:幕張メッセ
主催:社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)
共催:日経BP社
後援:経済産業省
公式サイト:http://tgs.cesa.or.jp/
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「お前、これどうするんだ」。名古屋の実家に帰るたび70歳を過ぎた親父が言います。父は掃除好きで、高校まで住んでいた私のものを探し出しては、持って帰れとせっつくのです。教科書類やレコード、着られない服や昔読んだ本などなど。今回は1970〜80年代に私が集めた「記念切手」の束でした。何冊もある切手帳をめくると、小学校時代の思い出がよみがえってきました。切手が発売される日には、朝早くからお袋が郵便局に並び、私は学校から帰って発売されたばかりの切手を見るのが楽しみで仕方ありませんでした。切手に「手あか」が付かないように専用のピンセットで扱い、丁寧にしまいます。以前買ったものが値上がりしているか、小遣いがたまったら次はどの切手を買おうかと、カタログを見ながら思いを巡らせたものでした。
そう言えば最近、子供が切手を集めているという話を聞かなくなりました。わが家でも小学生の子供が、私が持ち帰った切手帳をもの珍しそうに眺めていました。確かに、切手より楽しいものが子供たちの周りにあふれています。切手収集が趣味だなんいう子供は、ちょっとしたインテリか一風変わった「オタク」に見えるかもしれません。われわれの時代は熱の入れ方に差こそあれ、持っていて当たり前という空気だったのですが。近ごろの子供たちが集めるものと言えば、「遊戯王カード」や「ドランゴンボールカード」、女の子なら「ラブアンドベリーカード」などのカード類があります。これは、やはり70年代に始まったスナックのおまけ、「プロ野球カード」がはやったことに似ています。

「ベイブレード」という、対戦型のコマも、おもちゃ売り場で品切れの場合があるなど人気です。これも、われわれがコマやメンコ(小さな厚紙にキャラクターが描かれていて、床にたたきつけるなどして複数の相手と対戦する)を集めていたことと重なるでしょうか。
「子供があまり物を集めることをしなくなった」と話すのは、65年から東京・神保町で切手・古銭ショップ「ヤナギスタンプコイン」を営む林宏幸さん。「ゲームの登場で、子供は動かないものに興味が無くなってしまったんですよ。切手のピークは80年代で、当時の発行枚数は年間3,000万枚。いまは3分の1で、集める人が減ったから価格も当時の10分の1まで下がっているものもあります」と表情は寂し気でした。
物の収集にとって代わったかに見えるゲームですが、子供を中心に若者たちの間で大人気のニンテンドーDS「トモダチコレクション」は、その名の通りゲームの中で友だちをコレクションするゲームです。決まった遊び方は無く、実際の自分の交友関係などを登録して、家に遊びに行ったり、恋愛をしたり、服を着替えさせたり、宝物を交換したりします。中高生には自己紹介サイト「プロフ」が人気ですし、「mixi(ミクシィ)」「GREE(グリー)」などのソーシャルネットワークサービスには、数千万人の会員が登録して友だちを「コレクション」しています。
そう考えれば、人間が物を集める習性というのは今も昔も変わらないようです。それがリアル(現実)からバーチャル(仮想)へと変容し、バーチャルでは、実体が見えないからこそ対象への欲求がエスカレートしてきます。「トモダチコレクション」では、トモダチの性格までコントロールすることができます。65年にウイリアム・ワイラー監督が制作した映画『コレクター』は、蝶の採集が趣味の孤独な銀行員フレディーが、好意を寄せる女性ミランダを誘拐、自宅の地下室に監禁するというストーリーでした――。
記念切手はいま、定年退職者を中心に静かなブームを呼んでいるそうです。先の林さんによれば、「仕事一筋でこれといって趣味のなかった人が、『昔は手が出なかったような高価な記念切手がいまは比較的安く手に入る』といって始める人が多い」とのこと。あれこれ手を出さずに、「国立公園」「切手趣味週間」などのシリーズ、テーマを決め無理せず少しずつ集めるのが続くコツだそうです。「かあちゃんに見つからないようにしないと大変なことになるよ」と60歳過ぎの男性客が話に加わってきました。
文:浅田光博
みなさんは夏と言えば何を思い浮かべますか?日本では、夏祭り、海水浴、キャンプなど楽しい夏の風物詩を思い浮かべる人が多いです。たくさんの夏の風物詩がありますが、夜空に大きく打ち上がる色とりどりの花火は、夏の風景の代表と言えるでしょう。

花火のルーツは、古くは敵の攻撃を伝えるためなどに使われた「狼煙(のろし)」だと言われています。その後、14世紀にヨーロッパの宗教行事で観賞用の花火が打ち上げられました。日本に花火がやってきたのは、17世紀初めのことでした。イギリス国王のジェームズ1世の使者が、現在の静岡県の駿府城(すんぷじょう)を訪れた時に、徳川家康(とくがわ・いえやす)に花火を見せたことが最初の記録として残っています。18世紀になると花火は民衆に広まり、最初の花火大会の「両国川開き花火」(現在の隅田川花火大会。2010年は7月31日開催予定)が行われました。
明治時代になると諸外国から輸入された化学薬品などによって、花火はより芸術的になりました。一色だった花火がカラフルになり、ますます民衆の心をつかんでいったのです。第二次世界大戦後(1945年以降)日本は海外へ花火を輸出するほどの生産高、技術を誇る国となりました。花火師(花火を作る職人)の仕事場は大きな工場ではなく、従業員10〜20名程度の工房がほとんどです。若者が熟練した花火師のもとに弟子入りをして技術を身につけます。落語(らくご)などの伝統芸能や有田焼(ありたやき)などの伝統工芸と同じように、年長者から若い世代へと技術が伝えられて今日の花火があるのです。

日本の花火は、一つひとつにテーマや作り手の気持ちが込められています。外国の花火の多くは音楽と共に一つのショーとして演じられますが、日本の花火はショーの引き立て役ではありません。花火自体が主役なのです。最近では、花火だけでハートマークや人の顔などを表現することもできます。留学生の皆さんが最初に日本の花火を見た時、どう感じましたか。一発にかける花火師の気持ちを考えながら、また自分でいろいろ想像しながら鑑賞するのも楽しいですね。
日本で花火を観るイベントを「花火大会」と呼びます。日本中の花火師が集まる競技大会もあり、毎年各地で数多く行われています。日本中から多くの人が訪れる競技大会は、街をあげての大きなイベントとして国や自治体も協力しています。大きな大会では総理大臣賞を受賞する花火もあります。審査のポイントは「高さ」「大きさ」「構成」「花火の種類別」です。花火師は、この競技大会のために新しい花火を研究して臨みます。数ある花火競技大会の中でも、今年で100年目を迎える秋田県大仙市の「大曲の花火」(2010年は8月28日開催予定)では「昼花火」と呼ばれる他の花火大会ではなかなか見ることができない技術も競われます。「昼花火」とは、名前の通り昼に打ち上げられる花火です。夜の花火とは違い、煙や強い光で表現されます。カラフルな煙が様々な形に変化するのがとても面白い花火です。

花火は、夜空に打ち上げられる大きなものだけではありません。私も小さい頃、夏休みの夜に家族で花火をして楽しみました。いつもは小さな花火しか持たせてもらえませんでしたが、いつもより大きな花火を持たせてもらった時は、少し大人になったような気分になったものです。家庭でも楽しめる花火はコンビニエンスストアでも買えるのをご存じですか。また、東京のJR浅草橋駅付近には古くから花火問屋が多く立ち並んでいて、夏になると一般のお客のために商品を安く売っています。たくさんのお店がありますが、どのお店も通常の価格より30〜50パーセント程度安く買うことができます。
このように日本には、大人から子供まで花火を楽しむという習慣が根付いています。花火大会のことを考えるとついウキウキする、という日本人の花火好きはこれからも続いていくでしょう。
文:嶋 奈緒美
参考文献:「花火入門」(社団法人日本煙火協会)
取材協力:社団法人日本煙火協会
両国花火資料館

海外で生活していると、その国の文化と日本の文化を比較して「どうのこうの」言いたくなることがあります。ただ、よく言われるように開発途上国に日本の高度成長期を見て、日本人が忘れてしまったものを感じることがあるのも事実です。これが「どうのこうの」というストレスを解消させてくれ、何かと不便でも、私の住む国、フィリピンが私をとりこにしてやまない理由なのです。
フィリピンでの生活は7年になります。10年以上前、初めて訪れたときのことを今でも忘れません。深夜便の窓から見えるオレンジ色に照らされたマニラ市街の雑踏、12月なのに30度を超える蒸し暑さは機内からすでに感じられました。機外へ出ると「もわっと」した空気に包まれ、Tシャツの中はすぐに汗ばみます。トイレでは清掃のおばちゃんにチップをねだられ、入国審査官は「クリスマスプレゼントをくれ」とジョークにしては笑えない応対。預けた荷物が出てくるのに30分もかかるメチャクチャぶりに言葉を失った記憶があります。待合ロビー(?)は屋外で、金網越しに大人から子供まで人がウヨウヨとし、私のほうを見ています。だれとも目を合わさないようにと、出迎えに来ているはずのリンリンを探しました。
リンリンはマニラ首都圏の北隣り、ブラカン州の出身で、マニラの大学を卒業後、日本の大学院へ留学していました。彼女との出会いは「ランゲージエクスチェンジ」。年末年始を家族と過ごすために帰国していて、そこに私がおじゃましたというわけです。
空港から車で2時間あまり。両親と妹が暮らすマニラの家ではなく、ブラカン州の実家で親戚と年を越すということです。9人乗りのワゴンには親戚を含め12人がきゅうくつに乗っています。うち子供が7人。空港まで行くと聞き、近所の子供までが乗ってきたとリンリンは楽しそうに話しています。ちなみにフィリピンではこうしたワゴン車が、セダンと比べずっと売れるのだそうです。どこへ行くにも親戚や近所の人と一緒。家族主義のフィリピンならではです。核家族化が進んだ日本では懐かしい光景でしょうか。
ブラカンの実家には、その3倍ぐらいの人がいました。子供がじろじろと私のことを見ています。空港と違うのは、みんなが笑顔を振りまいてくれることでしょう。大人は大音響で音楽を鳴らしカラオケに興じています。近所の人が総出で私の来訪を歓迎してくれているのか、と思いきや、クリスマスが近いこともあり12月に入ってから毎日こんな様子とのことでした。
私は、リンリンからのリクエストで日本の「肉まん」をおみやげに持ってきていました。リンリンによると、フィリピンの肉まん(ショーパオ)は日本のに比べて甘い。日本で一番おいしいと感じた食べ物は肉まんだと(珍しい!)。スーパーでお気に入りのメーカーの、ジャンボサイズの4個入りのものを買って、毎朝食べていたのだそうです。一度、おみやげに持ち帰ったら大好評で、子供たちはそれをとても楽しみにしているとのこと。なるほど、子供が笑顔を振りまいてくれたのは、私ではなく肉まんにだったと。早くもフィリピンのお国柄が少しずつ分かってきました。
子供たちが私の周りを離れません。私も、早くみんなの喜ぶ顔が見たいと肉まんを取り出しました。リンリンお気に入りの4個入りのを4袋。そこで、子供の人数を数えるといつの間にか何と20人。4個足りない。あー、もっと買ってくればよかったーーっ。

日本だとどうなるでしょう。ちょっと考えてみてください。おそらく、ジャンケンが始まるんじゃないでしょうか。それはそれで盛り上がるでしょうが、負けた4人は食べられないことになります。誰かが分けてあげるかもしれませんけどね。
20人の子供のリーダー格のテテンは、温める前の肉まんをそれぞれ半分に切ると言いました。子供の秩序は保たれており、即決でした。リンリンの通訳によると、半分に切ることで、1個分つまり半分のものを2つ食べる子と、それほどお腹が空いていない子供やジャンボ肉まん1つは食べられない子は半分で十分。20人の子供すべてが満足したという結末です。
そこまで考えたテテンは「さすが」なのでしょうか。驚いている私にリンリンは「当たり前」と言います。だれかが食べられない、そんなことをして食べてもおいしいわけない、と言います。
フィリピンでは「シェア」の精神が美徳とされています。私の主観ですが、それは特に食べ物に見られます。大きなお皿に食べ物を盛り、みんなで分けて食べる習慣(小皿に分けると、残す人や足りない人が出る)、仕事で会社等を訪問すると、必ず飲み物を出される(時には食べ物もすすめられる)、友達の家に行くとあいさつがわりにまず、「ご飯食べた?」と聞かれるなど、自分だけよし、他人には関心なし、という風潮はまったくありません。
今日もわが家は停電でエアコンが止まっています。ストレスどころか、「それならプールに行こう」と隣人から誘われました。こんな光景が最近、日本で見られなくなったとしたら、いったい30年後の日本にはいまある何が無くなってしまうのでしょうか。そんな日本に、帰るかやめるか考えつつ暮らす毎日です。

文:イケノマチコ(フィリピン在住)
漫画、マンガ、今ではMANGAと書けば、世界中で通じるのではないでしょうか。民族や国境を越えて、多くの若者を引き付けてやまない、現代日本文化を代表するもの、それがマンガです。
このマンガはいつ頃、生まれたのでしょうか。マンガのルーツと言われているのが、京都府右京区の高山寺に伝わる『鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)』という絵巻物です。ウサギやカエルなどが、人間のように相撲をとったり水遊びをしたりといった様子が、コミカルに描かれています。この手法が現代のマンガに通じるものがあると言われています。『鳥獣戯画』が描かれたのは12世紀のことですから、今から800年も昔の話です。

一般にマンガという言葉が使われたのは、今から200年ほど前の、江戸時代後期に活躍した葛飾北斎(かつしかほくさい)が描いた『北斎漫画』からだと言われています。人物、風俗など4,000点に渡って描かれた「漫画」は、当時の日本の主要な輸出品である有田焼の陶磁器の梱包材料となり、ヨーロッパに渡りました。これを見た当時のヨーロッパの人たちは、北斎の精緻(せいみつ)な描写に驚いたといいます。これは言ってみれば、現在、5,000億円市場にも及ぶ、日本の漫画輸出の第一歩と言っていいでしょう。
筆者が小さい頃は、漫画を読んでいると、「マンガばかり読んでいないで、たまには勉強しろ」とよく叱られました。でも、私の母親は少女漫画に夢中になり、おじいさんに叱られました。そのおじいさんが好きだったのは「のらくろ」でした。つまり、日本人はずっと昔から漫画が好きだったのです。ちなみに私の二人の娘は「ドラえもん」が大好きです。

なぜ、日本人はこんなにもマンガが好きなのでしょうか。マンガの中では、だれもが主人公になれます。無敵の拳法の達人になることもできれば、プロ野球のエースにもなれます。かわいい女の子とデートすることも、唯一無二(ゆいいつむに)の友情を育むことも、思いのままです。なんでもありでなんでも許される世界なのです(時にはそんな行き過ぎた表現が、世界中で顰蹙(ひんしゅく)を買うこともありますが…)。子どもは受験勉強に疲れた時、サラリーマンは仕事の失敗で落ち込んだ時、お気に入りのマンガを読んで、明日への活力を取り戻します。ストレスが大きい日本社会では、マンガはどんな日本人にとっても、かけがえのないバーチャルなオアシスなのです。
田河水泡/講談社
そんなマンガが今、世界中で大流行しています。日本のマンガをきっかけに日本語を学び始める若い人はどんどん増えています。フランスでは毎年ジャパンエキスポが開かれ、ヨーロッパ中のマンガ好きが集結します。そこで若者は、コスプレ衣装に身を包み、マンガの主人公になりきります。マンガは自由で、夢のある世界です。日本のマンガには、さまざまなテーマ、ジャンルがあり、多彩なキャラクターが登場します。その世界は単純な勧善懲悪(かんぜんちょうあく)ではなく、ヒーローにも弱い部分があり、悪人の心にもやさしさがあったりします。そんな多様な価値観が、世界中で受け入れられているのだと思います。
今やマンガは世界中に輸出されています。海外のホテルでテレビを点けると、日本のアニメの吹き替え版がよく流れています。言葉は英語だったり、中国語だったりしますが、そこで繰り広げられる世界、是(ぜ)とされる価値観は、日本で見たものと同一です。世界中の子どもたちが、日本のマンガを通して、平和を愛する心、友だちを大切にする心、努力することのすばらしさなどをいつの間にか身につけているとしたら、マンガほど世界に貢献できる、すばらしい日本の輸出品はないのではないでしょうか。
文:ジョウコウ シンジ(文筆業)
参考文献:
『外国語になった日本語の事典』(1999)加藤秀俊・熊倉功夫(岩波書店)
『図説 漫画の歴史』(1999)清水勲(河出書房新社)
ジャパンエキスポ(フランス・パリ)
ホームページ:http://www.eurojapancomic.com/fr/japanexpo.shtml
テ
「アメリカに来るまで、手動のドアというのは、自分の目の前で閉まるものだと思っていました。」
こんなことを仰った日本人女性がいました。最近の日本の建物は自動ドアが多く、私もそれほど気にはしていなかったので、どういう意味なのかを聞きました。
「アメリカでは男性が後に続く女性のためにドアを開けて待っているでしょう?それがごく自然に、見知らぬ人同士の間で行われているでしょう?男性に限らなくても、自分のすぐ後ろから来る人のためにドアを開けて待っていることがよくあるでしょう?」
フルサトハ、トオキニアリテ オモフモノ。(室生犀星)
アメリカに住みながら、故郷日本のことを思い出すことはよくありますが、実際里帰りしてみると、「え?日本ってこんなんだったっけ?」と思うことも沢山。以下いくつか例を挙げてみましょう。
成田空港で、どうみても妊婦さんと思われる日本人女性がよちよち歩きの女の子を連れてシャトルバスに乗ってきました。目的のターミナルに到着した彼女、まずは他のお客さんが全員降りるのを待ってから、片手で子供の手を引き、もう一方の手で折りたたみ式の乳母車を抱え、狭い降車ドアを降りようとしています。背中には旅行用のナップサックで、どうみてもバランスを崩す一歩手前。おまけに乳母車が手すりに引っかかってしまったのと、女の子が段差の大きなステップを怖がって、なかなか前に進むことができません。乗っているのは運転手さんだけ。でもその運転手さん、自分の席から一ミリも動かず、ともすれば二人一緒に転んでしまいそうになっているこの親子が自力で降りるまで前を向いてじっと待っているのです。この図、何かが間違っているとは思いませんか?
品川駅でのこと。下りエスカレーターの上のほうで何だか大きな音がしました。見ると、一本の杖だけが下まで降りてきています。脚に障害を持った男性がエスカレーターに乗った際、持っていた杖が段差に引っかかって手を離れて行ってしまったのです。男性は手すりに上半身全体を乗せるようにして下まで降りてきましたが、床に落ちたままになっている杖を拾うことができません。ラッシュアワーではありませんでしたが、品川駅ですから多くのビジネスマンが電車を待っているのですが、ただ一人として杖を拾ってこの男性を助ける人はいませんでした。それどころか皆それぞれに下を向いたり、携帯電話を耳に当てたり、見て見ぬふりなのです。
日本人は元々それほど押しの強い気質の民族ではないような気がします。私が子供の頃も「恥ずかしいからやめなさい。」「控えめに。」「我慢して。」とよく言われて育ちました。回りのことを省みず、自ら進んで何かをすると「目立つ」「自己中心的」などと言われかねず、「出る杭は打たれる」の文句の通り、大人になるにつれ「みんなと一緒」の傾向になりました。ボランティア精神も、助け合いの精神も、実は胸に秘めているのになかなか自発的に実行できない。関わったら約束に間に合わない。約束に間に合わないと「みんな」に迷惑がかかる。「そんなこと、放っておけばよかったのに。」と言われてしまう。もちろん日本人全員が上記の例のように振舞うのではなく、手を貸す人も大勢いるでしょう。しかしながら、私が目撃した光景も事実なのです。
アメリカ人は個人主義と言われますが、自分が正しいと思ったことは、他人がどう思おうとすぐに実践するべし!という精神がこうした人助けに生かされるのであれば、個人主義大賛成。上記の親子がアメリカの空港にいたとしたら、多分この親子を一番最初にバスから降ろしてあげようとする人が何人かいるでしょう。松葉杖の男性を助ける人達がゼロということはありません。それが理由で約束に5分遅れても、「みんな」にきちんと説明すれば必ず納得してくれます。すべてのアメリカ人とは言い切れないものの、考える前に行動する人助けは、アメリカでは割と頻繁に目にする光景で、こうした大人の姿を見ながら育つ子供達が大人になると、やはり同じことをするようになります。
同じ国の人間として、日本人の価値観を問いただすつもりはなく、戦前、戦後、現在の日本の成り立ちを勉強すると「Noと言えない日本人」になってしまった経緯には納得もできます。けれど、困っている人を見かけた時くらいは、サッと手を差し伸べてもそれが特別なことにならないような国に里帰りしたいと思うのは私だけでしょうか?
文:道代 レターマン(アリゾナ州在住)
留学生の皆さんが日本に来て驚くことのひとつに、「鉄道網の充実」があげられるのではないでしょうか。
2、3分おきに、時間どおりに次から次へとやってくる山手線、縦横無尽に都心をくまなく走る地下鉄、そして、時速200キロ以上で本州から九州までを走り抜ける新幹線、などなど。鉄道は、日本人にとって最も正確で安全な交通手段として欠かすことのできないものです。日本に住んでいるとこの状況が当たり前だと思いがちですが、海外へ行くと、日本の鉄道網の充実を改めて感じます。特に、都市部では、JR、私鉄、地下鉄など複数の鉄道があり、それらがまるで蜘蛛の巣のように細かく張り巡らされ、その組み合わせは、まるでパズルのようです。東京の地下鉄の乗り換えをマスターできたら「都会人として一人前」などと言われるのも納得の複雑さと緻密さです。
日本の鉄道は、1872年、新橋―横浜(現桜木町)間で開通したのがはじまりです。1889年には東海道線が全線開通し、山手線は1925年に完成しています。また、わが国初の地下鉄(銀座線)は、なんとその2年後の1927年に開通しました。このように、日本では明治維新後50年ほどで、ほぼ現在の鉄道網が出来上がっていたというわけです。さらに、1964年には東海道新幹線が開通し、日本の鉄道は高速化、ハイテク化が進みました。
その後、小回りのきく自動車や、短時間でより遠くへ移動できる航空機に押され気味になり、鉄道の時代は終わったと思われたこともありました。しかし、今、また、世界的に、鉄道の復権が話題になっています。というのも、先進国では深刻化する環境問題を踏まえて、輸送手段を航空機や自動車から鉄道に切り替えて環境負荷を低減させるモーダルシフトが強調される一方、都市人口が増大する途上国では、基本インフラとして鉄道への需要が急増している(2010年1月26日ロイター)、というのです。

その具体例として、日本が世界に誇る鉄道のひとつである新幹線の輸出の話題があります。すでに、台湾やイギリスに日本の新幹線技術が輸出され、営業が開始されていますが、新たに、中国、ベトナム、アメリカなどへの受注が積極的に展開されていることが、マスコミでも大きく報道されました。
また、昨年の夏、私の友人が15年ぶりに留学時代の友人とホストファミリーを訪ねてソルトレークシティとフェニックスに行ったとき、どちらにも路面電車(ライトレール)が走っており、フェニックスの車両は、日本製だったそうです。
そのほか、長年研究が行われているリニアモーターカーの本格的な実用化も、21世紀の新しい交通手段として、大いに注目されます。
鉄道のハイテク化が進む一方で、日本人にとって鉄道はある種ノスタルジックな思いをかき立てる乗り物でもあります。大学入学のため上京する時に乗った新幹線から見た雄大な富士山の姿、夏休みに田舎町を旅したときのローカル線で出会った人々の暖かさ、などなど、鉄道は人生の節目節目の思い出と深くかかわっています。
そのせいもあるのか、日本には昔から熱狂的な鉄道ファンが存在します。彼ら(彼女ら)は、車両そのものに興味がある人たち、鉄道写真を撮りコレクションする人たち、鉄道模型を作製し飾るのが好きな人たち、時刻表などを研究し愛好する人たち、などなど、さまざまに分類されています。たとえば、寝台特急(ブルートレイン)が廃止される時などは、出発駅や到着駅に多くの鉄道ファンが集まり、別れを惜しみます。その様子は、時として社会現象化し、マスコミでニュースとして取り上げられることもあるほどです。
さいたま市にある鉄道博物館は、日本や世界の鉄道の歴史や技術をわかりやすく解説し、多くの車両や資料を展示しており、大人から子供まで幅広く人気を集めています。ノスタルジックな蒸気機関車やハイテク新幹線のシミュレータもあり、実際に運転を体感することもできます。鉄道の過去―現在―未来を体験できるお勧めのスポットです。
21世紀に入り、世界の鉄道も新しい時代を迎えつつあります。そのなかで、世界有数の「鉄道王国」日本の技術がどのような貢献をしていくことができるのか、注目ですね!
文: 黒崎りえ
史上空前の落語ブームと言われ、落語が盛り上がっていたのが、ほんの少し前。さすがに大きなブームは去ったようですが、今も人気落語家の独演会は、あっという間にチケットが売切れ、若手の落語会にも多くの人が集まっています。どうやら落語人気は続いているようです。ブームであろうがなかろうが、落語は日本の古典芸能。現在まで生き残っているのは間違いなく面白いから。これを見逃すのはもったいない。ということで、今回のテーマは「落語」です。落語の中に日本人の本質を見ることができるかもしれませんよ。
「落語」は、演者が一人で観客の前に座り面白い話をして観客を笑わせる。たったこれだけのシンプルな話芸です。話の最後に落ち(オチ)といって、気の利いた一言があるので落語といいます。面白い話と言っても、怪談話と言って怖い話もあれば人情話と言って涙を誘う話もあります。ちなみに、おもしろおかしい話は滑稽話といいます。現代に作られた話もありますが、ほとんどが古典落語といって江戸時代から明治時代にできた話です。落語家さんは、話しだけで、楽しませ笑わせ、時に泣かせてくれるのです。でも、そんな立派なものではありません。なにせ話に出てくるのはどこか間の抜けた人たちばかり。難しいことは考えずに面白いと思ったところで笑えばいいんです。落語を聞いていると、ちょっと安心して、ちょっと元気になります。

落語の魅力は、その人がどう感じるかがすべて。ですから、もう聞いていただくしかありません。古い言葉が分からないのではと心配かもしれませんが、日本人だって、たいていの人は分かりません。どうしても気になるなら後で調べてみるのもいいでしょう。聞いてみたが、どうしても合わない人もいるかもしれません。残念ですが、それはそれで仕方がない。ただ、それも聞いてみないと分からない。ということで、落語を聞く方法です。
●インターネット
手っ取り早いのはインターネットです。YouTubeにもたくさん落語がありますが、お勧めはPodcast。ダウンロードした音源を携帯オーディオプレーヤーに入れておけば、いつでも聞くことができますよ。
・お台場寄席
過去の貴重な音源から若手の落語まで粒揃いの落語が配信されています。
・いーふろん亭ぽっど寄席
こちらは若手の落語家さんの音源を配信しています。

●テレビ
落語専門というわけではありませんが、NHKに以下のような番組があります。
・日本の話芸 毎回一人の演者が出演。落語ではなく講談の時もあります。
・お好み寄席 落語に限らず様々な演芸を放送しています。
・上方演芸ホール 漫才や落語など関西のお笑いを放送しています。
放送日等は、NHKのホームページで確認してください。
●CD、DVD
CDやDVDも便利ですね。CDの売上げ不振に悩む音楽業界は、落語に期待しているとか。落語専門のレーベルもできたそうです。
とはいえ、落語はやはり生で聞くのが一番です。インターネットなどで聞いてみて面白いと思ったら、ライブに行くことをお勧めします。
生の落語を聞くなら、まずは寄席(よせ)です。寄席は、1日中落語をやっている場所。好きな時にふらっと行って、好きな時に出ることもできます。でも、東京と大阪にしかありませんし、寄席は通って楽しむもの。初心者には難しいという人もいます。こう聞くと難しい感じもしますが、怖がらずに行ってみてください。寄席は楽しいところですよ。生の落語の良さがわかるはずです。
東京の落語の定席(じょうせき)と呼ばれる寄席は、次の4か所。上野鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場です。他に、国立演芸場、お江戸日本橋亭、お江戸上野広小路亭、お江戸両国亭も落語をやっています。大阪の寄席は、天満天神繁昌亭です。どこもホームページで、場所や料金、出演者などを見ることができます。
寄席以外で生の落語を聞くには、ホール落語と呼ばれる独演会や落語会。それから地域寄席があります。
ホール落語は、その名の通り大きなホールを会場とした落語会です。人気、実力のある落語家さんが出演しますから、間違いなく質の高い落語が聞けます。近くで開催される時は見逃さないように。ただ、冒頭に書いたように、人気落語家さんの会は、早めに売り切れてしまうので、がんばってチケットを取ってください。いつどこでどういう会が開催されるかは、インターネットのぴあやYahoo!チケットで検索するのが便利です。「落語」で検索するとたくさんみつかりますよ。
一方、地域寄席というのは、地域の公民館や区民会館などで開かれる小さな落語会です。料金も安く、身近に落語を感じられます。こちらの情報は、町内の掲示板やタウン誌で見つかると思います。ちなみに私が最初に生の落語を聞いたのも、友人からチケットをもらって行った地域寄席でした。
落語を聞きに行くのに準備することは何もありません。怖がることもありません。誰かに連れて行ってもらうと安心ですが、一人でもきっと大丈夫です。
そろそろ「落語」を聞いてみたいという気持ちになってきたでしょうか。なにはともあれ聞いてみなくては始まりません。面白くないと思っても何回か聞いてみてください。なんとなく良さがわかってきて、そのうち落語が大好きになるはずです。それでもダメなら、ごめんなさい。笑って許してくださいね。では、ちょっと寄席まで出かけてきます。
文: 荒川洋明
秋の田の かりほの庵(いほ)の とまをあらみ わがころもでは 露にぬれつつ
これは百人一首の第一首天智天皇(626〜671)の歌です。
百人一首とは、7世紀から13世紀ごろまでの代表的な歌人百人の歌を選んだ歌集のことで、一般的に、鎌倉時代に藤原定家が選出したとされる小倉百人一首を指しています。

日本では、この百人一首を使ったかるた遊びが正月の風物詩として知られていますが、百人一首がかるた遊びとして普及したのは、江戸時代からだと言われています。
現在、日本では多くの小学校や中学校で百人一首大会が開かれるほか、競技かるたとしてかるた取り日本一を決める大会も毎年開催されています。かるたキングやかるたクイーンが繰り広げるかるた取りのスピードと迫力は、まるでスポーツのようでもあり、ひとつの芸術作品のようでもあります。漫画「ちはやふる」(末次由紀:講談社刊)は競技かるたに魅せられた一人の少女を主人公に、競技かるたの世界をわかりやすく魅力的に描いた質の高いマンガであると評価され、2009年第二回マンガ大賞を受賞しています。
では、一般的なかるた遊びとはどんなものなのでしょうか。

最初にご紹介した天智天皇の歌を例に説明しましょう。
まず、和歌のはじめの五、七、五の十七文字(秋の田の かりほの庵の とまをあらみ)を読み札として、読み手が読み上げます。
それを聞いて、下の七、七の十四文字(わがころもでは 露にぬれつつ)が書かれた取り札を、並べられた百枚の札の中から探し、取った数を競うという形が基本となります。
つまり、読み手が最初の一文字を読んだ瞬間が勝負となり、それに素早く反応するためには、百人一首を暗記することが必須となるわけです。
子どもたちが暗記力や反射神経、そして、正座やお辞儀をはじめとした日本の伝統的な礼儀作法を学べる遊びとして、近年、百人一首は見直されています。
また、大人の楽しみ方としては、百人一首の歌に秘められた人間ドラマを探るという側面もあります。たとえば、日本では世界三大美女(他の二人はクレオパトラ、楊貴妃)の一人と言われる小野小町が詠(よ)んだ次の一首−

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世に振る ながめせしまに
(意味: 美しい桜の花の色は春の長雨が降っている間に、すっかり褪(あ)せてしまいましたが、私の容色(ようしょく)も、むなしくこの世を過ごして物思いに耽(ふけ)っている間に、すっかりおとろえてしまったことです)
絶世の美女であったと伝えられる小野小町が、年老いて衰えてゆく自分の美貌を、色あせてしまった桜の花に重ねているこの歌は、移りゆく歳月のむなしさをわずか三十一文字で巧みに表現しており、1000年以上経った現代にも通じる切ない女心に共感を覚えます。
このほかにも、『源氏物語』の紫式部、『枕草子』の清少納言など、日本史上の有名人たちの歌も百人一首にはたくさん含まれています。
百人一首には一首ごとに隠された物語やドラマがあります。つまり、日本人の変わらぬ心情を描いた百の物語が百人一首である、とも言えるのではないでしょうか。
百人一首の日本語は、現代の日本語とはだいぶ違うので敬遠しがちですが、解説書もたくさん出ています。ぜひ、これを機会に、日本の雅(みやび)な心を味わってみてはいかがでしょうか。
文: 黒崎りえ