2-1.教育方法

(2)大学等における主な課題 1.教育方法

障害学生に提供する教育は、教育の目標・内容・評価の本質は変えることなく、提供方法を柔軟に調整することにより、全ての学生が同等の条件下で学べるようにすることが必要です。

【本質の可視化】

アドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシー、シラバス等の明確化・公開

  • 大学等の選択に必要な情報を入学希望者等に提供する
  • 合理的配慮において変更可能な点と変更できない点を明確にする

とりわけ、シラバスに授業目標、内容、評価(方法)を明記することは、学生の授業選択の手がかりとなるばかりでなく、支援の必要性を事前に検討する上でも重要な情報となります。

授業

講義、演習等その形態を問わず、障害学生が障害のない学生と平等に参加できるよう、情報保障や必要なコミュニケーション上の支援を行ないます。

教材

  • 教科書・教材、学術論文等研究活動に必要な資料へのアクセシビリティの確保
  • 教員が作成する配布資料等の事前提供(障害学生が利用可能なフォーマットへの変換作業のため)

学外実習

  • 障害があることをもって参加を妨げることがないようにする
  • 指定科目の単位取得等、適正な参加要件を設定する
  • 成績評価における能力要件を定める
  • 実習先機関と密接に情報交換を行なう
  • 実習機関の利用者の権利利益を損なわないよう留意する
  • 実習授業の目的・内容・機能の本質的変更をしないような配慮のあり方を検討する

留学や海外研修

海外の受け入れ大学の担当者と十分な意見交換を行ない、必要な配慮が受けられるよう事前に調整を行ないます。

試験

入試や単位認定等のための試験においては、情報保障、試験時間の延長や別室受験、回答方法の変更、支援技術の利用等により、障害のある学生の能力・適性、学習の成果等を適切に評価できるよう配慮します。

  • 試験の形式や、試験で評価しようとする内容について、シラバスに明記しておく

レポートや発表

  • 課題の目的や評価基準を明確に示す
  • 目的を損なわないようにしながら、学生の学習成果を適切に評価できるよう、その形式については柔軟に変更できるようにする。

成績評価

教育目標や公平性を損なうような、評価基準の変更や合格基準を下げるなどの対応は、行なわないよう留意します。

事例講評

障害のある学生は、大学での教育活動等に参加する際、様々な場面で、参加を阻む社会的障壁に出会います。基本的なところでは、講義で配付された資料や書籍が紙のものしか用意されておらず、印刷された文字を読むことが難しい視覚障害や学習障害のある学生が参加することが考慮されていなかったり、実験実習を行なう際に、両腕を動かすことが難しい学生が参加することが考慮されておらず、その実習に参加することが難しいなどの障壁に出会うことは、障害者差別解消法が施行された現在でも残念ながら珍しいことではありません。一般的には、これらの障壁を解消するため、大学が何らかの便宜(合理的配慮)をはかることは当然のことと理解されるように社会通念は変化しつつあります。しかし、個々の講義の個別具体的な事情が条件として付け加わると、「どこまでを合理的配慮とするか」を考える上で、大学にとっては、途端に難しい判断を求められているように感じられることがあります。

例えば、紙の資料しか用意されない講義については、その授業が古文書の内容を読み解く講義であり、教員が「紙以外の古文書はないのだから、紙を見て古文書の内容を読み解くことが重要であり、紙を見て内容を読むことのできない学生は参加を認められないし、単位取得の評価もできない」と考えたとしたらどうでしょうか。また、実験実習の例で言えば、教員が「大学での講義の形を取っているが、その実験実習を一定の水準で実際に行なって単位取得できると、技術者としての実験遂行能力を持っていることを資格認定される講義なので、その学生が自分で実験遂行できないならば、参加を認めることができない」と考えたらどうでしょうか。その障害のある学生は、「そうか、それは仕方ない」とあきらめる場合もあるかもしれませんが、もしその学生がどうしても参加したい講義だったとしたら、簡単にあきらめるわけにはいかないでしょう。「障害者が参加することが前提になっていない講義や実習」に障害学生が参加したいと意思表明してきたとき、教員、大学と学生本人との間で、建設的な対話を進めるためには、もうひとつ、欠かせないことがあります。それが、その講義や実習の単位取得を認める「本質的な評価基準」をはっきりとさせ、関係者間で共有することです。そうしなければ、フェアな対話を進めることは難しいのです。本質の部分が定義されず不明瞭なままだと、学生にとっても、どの点で個別の異なる取扱いを合理的配慮として認めてもらえるように大学に申し出て良いかが判然としませんし、配慮を断られた場合も、どうして認められなかったのかが判然としません。配慮が否定された「正当な理由」がわからない、という結果になってしまうのです。他の多数の学生たちと比べて、機能面に何らかの障害のある学生は、不明瞭な何らかの理由で排除されることがままあります。しかし「障害があるから」という理由で障害のある人々が教育や雇用、社会生活などに参加する機会から排除されないようにしよう、と権利保障を行なっているのが障害者権利条約であり、障害者差別解消法です。

紙の資料しかない講義について言えば、「古文書の紙面を目で見て文字を認識すること」が、その講義の本質であるかどうかを考える必要があります。もし、「古文書にある文の、特殊な文法を踏まえて内容を読解することができること」や「古い単語を知識として学び知っておくこと」がその講義の学びとして本質的なことであれば、書かれている文字をテキストデータとして書きだしたものを音声読み上げで耳で聞いて読んで学び、レポート作成や試験へ解答したとしても、その講義の本質的な目的を達成できていると、担当教員が判断することはできるでしょう。同じように、実験実習の例にしても、実験の手技自体を、自らの四肢で行なうことが本質ではなく、「実験の手続きや勘所を詳細かつ適切に理解して、補助者に指示して求める実験の技術的手続きを遂行できること」が本質であると理解されていれば、障害のある学生が補助者を適切に指示して実験を行なうことで、単位や資格の取得を認めることも可能と言えます。

上記に挙げた例に類する衝突は、多岐にわたる大学の教育活動や実習への参加や単位の認定、教育や医学、工学等々、様々な資格認定や免許取得に関連して、常に立ち現れます。繰り返しになりますが、個々の場面で「本質的に求められること」が可能な限り事前に明示されることは、建設的かつフェアな対話を進める上で不可欠なことです。教員や大学、評価基準についてシラバスにもそのようなポリシーの明示がなされることを当然と考える必要があります。もちろん、障害から来るニーズは極めて多様なので、最初から完璧なものは論理的には作ることはできません。しかしそうでなくとも、求められる本質をあらかじめ明示することは不可欠なのだ、という考え方をはっきりと持つことから始めること、それが教育方法の差別解消を考える上で「本質的なこと」です。

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